後手に回ると選択肢がなくなるので、先手を打つ必要がある。
先手は相対的なものなので、二手か三手多めに手数を持ってる必要がある。
意図的にお得な買い物をしようとしてなくても、結果として運命の分岐が発生する箇所で、お金を節約する方向を選ぶと、失敗の連鎖に巻き込まれるケースがある。
保険としていくらまで許容できるのかを考えて、リソースを多めに確保しながら素早く動く必要がある。大体無理だけどな。
後手に回ると選択肢がなくなるので、先手を打つ必要がある。
先手は相対的なものなので、二手か三手多めに手数を持ってる必要がある。
意図的にお得な買い物をしようとしてなくても、結果として運命の分岐が発生する箇所で、お金を節約する方向を選ぶと、失敗の連鎖に巻き込まれるケースがある。
保険としていくらまで許容できるのかを考えて、リソースを多めに確保しながら素早く動く必要がある。大体無理だけどな。
タイトルでメモしたいことすべてをメモできてしまったのだが、もう少し詳しく書いていこう。
そもそもの思考の起点は、現職における大規模な組織変更である。日本の企業で組織変更があったくらいで深く考える様なことは起きないのではないか、と考えていたが、そんなことはない。上が変わるとその下はより根本的に変わっていく。それに加えて、キャリアにおけるマネジメント役からの降板も存在する会社ではその後のやりくりを考える必要もあるだろう。
とても運が良いことに、現代は人工知能がブームとなっている。そして様々な方が異論を述べると思うが、人工知能ブームの最後まで今と同じ以上の必要性が末永く残る現存ジャンルはいくつかしか無い。その残るジャンルにデータの創作と構築、検証は残る。残ってしまう。そのため、人工知能ブーム下においては、あらゆる人々に対して社会的な立場を高める暗黙的な圧がかかるはずなのである。
人間はインターネットによって手元に図書館以上の書物をいつでも参照できる状況になっても、未知の問題に対する対処に迷うし、選択を間違う。世界中の書籍を集めたとしても同様の構造は残るのだろう。
人間はどれほど優秀な教師やアシスタントが居ても、行動を間違うし、失敗をする。それほどに人間はバグっているし、不確実な存在なのである。
考え方を変えて、今存在しているC向けサービスがすべて自動化されたインフラとなったときに、何が残るのか。AIが自動化をしても、自分が移動するためには電車に乗らないといけない。
電気が喪失するリスクや、自分と他者を接続するサービスが喪失するリスクには備える必要がある。そのような考え方に基づき考えると、AIエージェントに頼りフルリモートで仕事をすることは現状程度の電力供給の頑健さからすると危険でしかない。
効率を上げることが、AI以前の働き方を無くす方向に向かってはいけないのだ。子供を養育するのは親だし、生徒を教育するのは教師、学生を教育するのは教授、部下を指導するのは上司、組織を指導するのはお役人。そういう属人的な構造は、時間の無駄である一方で、致命的なインフラリスクを回避するためのセーフネットだったと言える。人間はバグってる。そして孤独に弱い。正確なAIとの組み合わせはバグってなくて孤独に強い人間以外とは、実は相性が悪いのではないか。
人間のやることが減ることは、インターネット以前、テレビ以前、ラジオ以前と過去に遡る様にしてより暇な時代に戻った状態になるとも言える。都会から田舎に行くと、やることが無いので早く寝る。手っ取り早いとこだとスキーリゾートとかに行くと22時以降はバーしか空いてない。寝るしかないのだ。
AIが助けてくれる場合も同じで、AIが暇にしてくれたら寝たり、同じように暇な人と話したりすればよい。店に行ったら店員も暇にしてるだろう。店員と話したら良い。
そういう都会的な働き方に対して、一次産業はどうなっているのか。それは対して自動化されない、ということになるだろう。冷凍マグロ倉庫の荷降ろしはロボットがやる様になり、深夜の見回りはドローンがやり、皿洗いや清掃もロボットがやる範囲が大きくなる。それに従って、あらゆるロボットの行動範囲は規格化されていき、つまらないものにならざるを得ない。人間はバグってるので無変化に弱い。無変化に強い人間を現世では自閉症扱いしている。
自由で暇な人間は何をするべきなのだろうか。それは歴史を振り返れば簡単なことで、記録したら良いのである。日記を書いたり、議事録をつけたり、随筆を書いたり、恨みを記録したり、とにかく記録を残すのだ。ただし、現世ではその記録を電子的に残しておくほうが良いだろう。特に大手インターネットサービス会社のサービスで残すのが好ましい。インフラが壊滅してもインターネットのどこかに自分のデータがのこってる可能性があるからだ。後世の人類の視点からすると、自分が作ったデータを死ぬまで抱えている必要はない。数千年語に誰かが発掘した際に、復元できたら良いのである。
そのようにして作られた電子的なデータは現世でもいくらかの意味があるだろう。具体的にはAI に局所的で独立な知識をインプットできる。そのような局所的な知識はAIインフラの規格化と網羅が進捗しないうちは強く求められる。局所的な知識のうち最も重宝されるのは、新聞や出版、旅行会社、自治体職員や公務員など足を使ってその場の情報を集めることができる人々を抱える組織が発信する情報である。
なぜならAIも人間も個々の情報の信頼性を検証しきることができないため、情報の発信源を信頼するしかないからである。例えば、イルカの新種が発見されたとする。そんなときにそれが本当なのか検証できる人間が真横にいる人間なんてそんなに居ない。結局、どこから流れてきた情報なのかが大切で、個別の事例に目をつぶって主語がでかい話をすると、どこから来た情報なのかだけが大切、と言い切っても良い気がしている。
これこそがAIが来たからと言って、自分のキャリア開発を緩めて良い、とはならない最低限の根拠だと考える。自分が発信した情報が誰かに届くことは、人間の生の実感に直結している。AIがすべてを握る時代では、信頼されない位置から発信した情報は発見すらされないので、誰にも届くことはない。AIと人間の共存は社会的信用力の重要性が究極に高まる世界である。そのような世界では信頼される立場での情報発信は重要な仕事になるのだ。
信頼される立場とは何か。誤解をしてコミュニケーションを混乱させる可能性が低いことであり、過剰な心配をして無駄なプレッシャーによる信頼や時間を無駄にする説明を求めないことであり、全員が困ったときに解決する方法を提案できることであり、要するに周囲が時間を得するやり方をできる人間の信頼性は頑健である。他方で、誰か個人のために考えても居ないお世辞を言ったり、誰か個人の利益のための利益しかない行動を選択したり、暗黙的に小さくて分かりやすい方向に舵を切ってしまったりなど、短期的に周囲から褒められる行動をする人も、それなりにいる。これも正解というか、大半の選択はこの様な選択の繰り返しで構成されているのだと思う。だが、本当にこれが良いのだろうか。
大人になることと、誰かのためになることとは、全然別なんだよな。どちらかだったら、身を滅ぼさない範囲で後者を取っていきたい。
どなたかのお役に立てばと思い書くことにしました。
私が未経験でジュニアなエンジニアであるという社会的評価が付与されている時に実施した最初のことは、自分が尊敬している実在のエンジニア(20人程度)の履歴書や職務経歴書と、自分の経歴書や職務経歴書を比較することでした。
そして、その様なエンジニア達が公開している日記やブログを最初から最新まで読み返しました。そのうち何人かは、自分と同じジュニアな段階からの経験を公開してくれていました。その中から自分でも楽しくできそうなことを試しにやってみる、という方法で模倣を試みました。
着手する根拠が主観的では無いため、自分と合わなかったり続かなかったりすることも沢山ありました。しかし、3年くらい続けると、だんだんと続けられるものを見つけられました。
並行して基礎的な本を本当にたくさん読みました。例えば普通は通読するのが難しい分厚さで、基礎的とはいえ個人で理解する難易度が高く分厚い本を読みました。ジャンルは自分が好きで、その分野の技術者になりたいと思う分野の本でした。その様な本を会社の同僚や、社外のエンジニアと一緒に何年もかけて少しずつ読んでいきました。
苦手な分野は小学生の問題集からやり直しました。もちろん小学生分野は一瞬でした。他方で線形代数や微分積分は、他の様々なことと並行でしたので、それぞれ一年以上かかってしまいました。
プログラミングについては、闇雲にプログラミングを練習するのでは無く、自分が所属している会社の職位表を眺めました。そして、自分の職位の上や、上の上は何が違うと定義されているのかを確認しました。職位が上の社員の出す成果と、自分の成果を比較して、より良い成果を出す社員の日報を読み漁りました。
そうする中で、自身が模倣することで現状の自分よりも上の職位の社員に求められる成果を出せそうな範囲を見つけていきました。
合わせて、自分より上の職位の社員に「この仕事はどの様なきっかけで取り組み始め、実施中はどの様なことに注意を払い、そしてどの様にアウトプットしたのか」ということを一度に質問せず、段階的に質問して理解を深めたり自分でも試してみたりを繰り返していきました。
そうしていく中で、自身の職務経歴書や履歴書に少しずつ足していける内容ができて、結果として採用してくださった方から見た時に縁が発生している状態になっていた様に思います。(当時の自分が主観的に認識できたわけではありません)
私は上記の個人的な経験から、真面目に研究室で同僚と共に研究をすることは、インターンを渡り歩くことと同じかそれ以上に効果があるのでは無いかと考えています。上記で示した私の社会人経験と同じ様なことが、大学の研究室でも起きていたからです。
現代は生成AIが普及したため、周囲にいる人間に恵まれていない場合でも、本当の人間以上のメンター的な役割をAIがしてくれる分野が多いと思います。(不可能な分野もあるとおもいます)
個人的には、採用に向けたエンジニア間の競争が本当に激化しているのかについては疑問があります。なぜなら採用側からすると応募が少なすぎる、という認識を持っている企業がたくさんあるからです。
応募が少なすぎて困っている企業は、最近だと学会の年次大会などでスポンサーをやっています。
もちろん目立つ会社の目立つ採用枠は限られています。また、例えば今ゼロからAI系の技術者に転向したいと考えた場合にはやるべきことが多すぎますよね。
他方で、エンジニアの採用枠についてはその数が毎年上下します。多い年は本当に多いです。今だとAI応用ができるエンジニアへの要求は多すぎる状況です。過去にはDXエンジニア、データサイエンティスト、並列分散処理エンジニアなどに市場にいる専門家の数を遥かに上回る要求がありました。
またその様な技術ブームとは関係ない要求はプログラミング言語を軸としたコミュニティで可視化されていると思います。好きな言語のカンファレンスで何年も取り上げられている技術要素は、その言語界隈で要求が強いことを示しています。それらの中から自分が身につける価値があると感じられる技術を選ぶことができます。
現代は生成AIのAPIがたくさん存在していますので、それらを使ってたくさんのアプリケーションを作り、誰かの役に立つものを作ってバズるまで作り続けることも良い経験になって、キャリア構築を後押ししてくれます。
ここまで全てのことを短期間で実施することは難しいと思いますが、3年以上の期間の中でどれか一つでも実施することは、やらないことでは無いのではと思います。そして、何が一つできた人は、新しい別の何かを一つできると思います。
自分が望むキャリアを構築するには上記のことを実施するだけでは全然足らないのですが、入り口までは行けるのでは無いかと思います。
もっと賢く効率よく入り口に行く方法もありますので、他の方のブログや書籍をたくさんお読みになることをオススメいたします。
気がついたことがあったら追加したり、整頓したりします。
初稿: 2025-03-22
人間の皆さま、ごきげんようございますか。
本日、10月1日に東京科学大学の博士後期課程(情報通信系の奥村・船越研究室)に入学しました。ご尽力いただいた皆さま、心より感謝申し上げます。
https://lr-www.pi.titech.ac.jp/
以下、私の気持ちをできるだけお伝えしたいと思い、書き記しました。
19年ぶり2回目の進学となります。前回は研究室のメンバーに日本語が通じない人間レベルからのスタートでした。
「懲りていない」とも言えるかもしれませんが、社会経験を経て、多くの博士後期課程の学生や社会人の方々と共に仕事や生活をしたことで、その大変さを前回よりも理解していると思います。
また、この15年間、多くの方々から「論文を書け」「論文を書かないなら私が書く」「開発を早くしろ」「開発しないなら私にくれ」などと冗談交じりに言われながらも、私と仲間が取り組んできたことの価値を教えていただきました。
指導教官の奥村学教授には、非常に気長にご指導いただいており、そのお気持ちに応えたいという思いが強まっています。
今日から2027年3月末までの912日間、ソフトバンク株式会社でAIを活用して社会を良くする仕事や、東科大名義でのNLP論文執筆、体力作り、OSS開発など、多方面でより良い結果を目指します。
今回の進学だけでなく、この15年の社会人経験とアカデミックな経験から、日本では技術者がものづくりや先端的な研究を突き詰めて幸せになることが非常に難しいと痛感しています。
3年後にはAI推論サービスのインフラ化やAR/MR対応が進み、技術者にとって楽しい状況になっていることを期待しています。しかしながら、出生率低下や社会保障問題など、社会情勢は現役世代に更なる負担を強いると予測しています。
このような状況下で、自分自身が最大限活躍できる環境実現し、同じ仕組みで仲間たちも活躍できるようにしたいと考えています。
ここから3年間で得たものを、その後返せるよう誠実に過ごします。ここまでお読みいただいた皆様は私に対して様々な思いがあるかと思いますが、私自身に過度な私欲はありません。
家族、親族、友人、親友、仲間と目が届く範囲のみんなと一緒に幸せになり、そのうえでまずは、日本の津々浦々の人々のためになることができる様に心がけてまいります。
私生活とやるべき事の両立は、難易度がとても高く、私の頑張りに関わらず、家族や親族に負担をかけてしまいます。そして合わせて、多くの皆様の長期間に渡る強いお力添えが、どうしても必要です。
有形無形の応援をまずは3年間、よろしくお願い致します。
心が乱れつつあったので自己利益とあるべき未来の実現との折り合いについて考えた。
もし私が自己利益を追求すると誰より矮小な人間となり死ねる確信を得た。
無益な芝を燃やし害をなす鷹を撃ち殺しあるべき豊かな場所を作りたい。
一意専心誠心誠意改禍自新、誠実に謙虚に集中し確実な前進を心掛けること。
関わった物事を断捨離しない性格が災いしていると思うのだけど、異様に沢山のSlackチャンネルに招待されて、結果として未読を消化しきれなくて辛い目に遭うことを定期的に繰り返している気がする。
LINEヤフーから半自動的にソフトバンク株式会社へと転籍した際に、関わっているプロジェクトがすべて無くなったのだけど、転籍してから半年してじわじわとSlackのワークスペースもチャンネルも増え続けている。このままではLINEヤフーのときとあまり変わらない状況になる日も近い。
それにしてもどんな人間にも可処分時間には上限がある。したがって、あらゆる情報処理作業はスループットの限界まで到達したら、遅延してくのみである。したがって、どうやってスループットを上げるのかだけが重要である。
その様な観点から、たまたま試したSlackのスマホ版のキャッチアップ機能はUXが僕のもとめる感触に近く、使っていて快適である。この読み心地の気持ちよさのために、Slackを開く気持ちが湧く。
対してMac版のSlackにはキャッチアップ機能はない。しかし、未読メッセージがあるチャンネルのみを表示するモードはあるので、これじゃないUXな気はするのだけど、何も無いよりはマシくらいの感触を得ている。
Mac版にもキャッチアップ機能を用意してUXを揃えてくれたら良いと思うんだけど、今のところはそうなって無い。最悪ケースだと、開発チームが縦割りになっててスマホ版の企画とMac版の企画は担当者が別かつ密には連携していないんじゃないかな。
飽きたのでまとめよう。
まとめ: SlackはMac版にもキャッチアップ機能を用意してください。
以上です。
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道路で車関連でヒヤッとする回数が増えている気がする。しかも今年は過去に無い頻度で多かった気がする。一時停止をしないで突っ込んできたり、右左折を勢いよく曲がってきたり、別に混んで無い道路をあり得ないスピードで走っていたり、いろいろなパターンで徒歩の僕に不安を与える。
横断歩道の歩行者優先も罰則付きになったものの、未だに乱暴な運転の車は多いし、横断歩道の側にいる人に気が付かない人も多い。僕は車にはねられるのが嫌で、横断歩道を車が通り過ぎるか完全停止するのを待つのが普通。
そんなわけで車が通り過ぎるのを待っていると、僕の目の前で止まってくれない車の運転手は僕よりも年上、平たく言うとお爺さんである率が高い。
ふーん、と思い根拠となる文献を調べてみると、令和3年の日本で75歳以上の運転免許証の保有者は全体の8.1%で約666万人もいる。となると車体の前後が自分に向いている車くらいは、若い方が運転しているか軽く気にしながら歩くのが良いだろう🤔
運転免許統計(令和4年版)
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/menkyo/r04/r04_main.pdf
ちなみに666は獣の数字という別名があるらしい。今日初めて知った。
獣の数字 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%A3%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%97
75歳以上の運転免許証の保有者は毎年1%ずつ増えていくので、来年は700万人を超えるだろう。怖すぎる。でも田舎だと車がないと困ってしまうからね。どうしたものか。
それにしても、ブログを書くときの脳の動きは独特だな。僕は記事を書いている時に会話っぽく書いているのだけど、以前にブログを書いていた時と比べると滑らかに書けなくなっています。また、スマホで書くよりもPCで書くほうが捗りますね。
まとめてみると、幼児が派手に事故るときは運転の仕方が分からなくて事故るけど、ベテランが派手に事故るときは運転の仕方は分かっているのにある日突然体の制御の仕方が分からなくなって事故りますね。怪異です。ではでは。
8月くらいから多方向から同時にアウトプットを求められて混乱状態で11月末まできてましたが、12月からは非常にシンプルな状態になり精神的にも余裕があります。
11月末に至るまでに様々な精神修行の機会を頂きましたが、その過程で僕は自分のセルフプロデュース力について疑問を感じ、他人に任せて言われるままにやってみることを試してみました。
で、その結論は?ということですが。
結論として、あくまでも僕個人の1事例しか実績無いですけど「セルフプロデュースは諦めたり、他人任せにしては駄目。誰も安定してやってくれないし、常に望んでない方向に進む」と言えると思いました。
僕自身そんなに自分をどうするかについて上手にやっている気はしませんでしたが、他人に言われるままに手を離したところで何も改善しないどころか、手を離したところで止まってるだけでしたね。
必要な時間だったとは思いますが、これ以上は時間の無駄だと言えるでしょう。
今後はどの様にしていくかですが、「他人のイメージと自分の発信の方向性の一致」を目指して、いろいろ工夫を続けていきます。僕に見えている世界と誰かが見ている世界が違うのですから、誰かに伝える行動は派手にやった方が良いに決まっているのです。
まずはこのブログ。その次はVlogですね。Vlogは自分の声や表情を狙い通りに近づけるための教材になりますし、自分の映像や音声から自分の健康状態がわかることも良いところです。
こうして話したいことをまとめているうちに、映像で喋りたいことが溢れるといいですね。
まとめますと、「自分を見られたい自分にし続けてくれるのは自分だけ」ということです。ではでは。
このブログ記事、翌日に書いた時にWordPressの日付ディレクトリはどうなるのかな?と思ってスマホから書いてるんですが、公開日をいじれば任意の日付にできますね。優秀。
さて、12/8は夜に忘年会議という名前で開催されていたイベントの参加者が有志で集まる忘年会イベントでした。
10年前のイベントがどんな感じだったのかは、たつをさんの記事を読むと細かくわかるんですが、こうして残ってる記録の尊さを感じますね。
https://chalow.net/2013-12-15-3.html
で今回はカイさんが主催する忘年会としての復活ということだったのですが、時期もよく、参加者の集まりもなかなか良かったのではと思いました。
なるほど、URLを貼り付ける際に埋め込みになってくれる場合があるんですね。カイさんのブログはWPだから綺麗に埋め込まれますね。
このイベントは18:30からだったのですが、とても大切な仕事が重なってしまっており、参加できたのは20:00近くからとなってしまいました。
とはいえ、先に会場入りして橋本さんがスクリーンにタイトル画像を表示なさっている瞬間には立ち会えたので、間違いなく参加はできていたなとは思います。

会場はとても盛り上がっており、皆適度に僕が今どこの所属なのかとかも把握してくださっていて、ネットコミュニティの生温見守り環境の答え合わせとして、脳に良いフィードバックを与えられた気がしました。とてもありがたく、懐かしく、ここまでのことが無駄じゃなかったのだなと感じたりしたのでした。
会場で暖かくお声がけくださった全ての友達に感謝します。時間がなくて回りきれない位置にいた友達とはまた話たいですね。そのためにも僕は僕のことを発信するぞと思ったのでした。
やるぞ、と決めてくれたカイさんや、オリジナルの忘年会議や無敵会議を運営していた、田口さんと橋本さんには、各位の両方を掴んでガタガタ言わせながらお伝えしたことは無いですが、お三方とも僕の人生の節目にいた方なので感謝してます。ありがとうございます。まさか、こんな生成AIブームになるなんて思ってもいませんでしたね。。
人間は元気になるまで意外と時間がかかるものだし、何がきっかけで報酬機構がぶっ壊れてしまうかなんて、事前には分からないですね。できるだけ色々な物事に同時に直面して、一つの物事に依存しないようにして、次の20年に備えようと思います。
スマホで記事を編集するコツは、最初に改行を入れまくること、ですね。そうすると任意の箇所をスクロールで表示しやすいです。次の記事からはもう少し効率よく書ける気がしてきました。
まだ分かってないのは、幅の狭い改行です。今だと改行すると別のブロックになって離れてしまうのですが、そんなに離れてほしく無い時もあるんですよね。どうするんだろ。
最後にまとめますと、忘年会議を懐かしむ忘年会である忘年会議2023に参加してきましたが、昔を思い出しつつ今に立ち向かう元気をもらえる良いイベントでした。ありがとうございました。以上です。